漱石とオルゴール

今年は夏目漱石生誕150年の年ですね。
すでに特別展は終わってしまいましたが、弊社でオルゴールのメンテナンスを承っている京都の大山崎山荘博物館では「漱石と京都」という特別展が開催されていました。
全国でも様々な特別展が催されていることだと思います。

漱石の生きた時代は偶然にもオルゴールの黄金時代と重なります。
漱石が初めて英国に留学した1900年はパリで万国博覧会が開催されており、たくさんのオルゴールメーカーが出展していたことも知られています。
人気機種でもあるポリフォン社のアップライト・ディスクオルゴールなどのコイン始動モデルには「Drop a Penny in the Slot」と表記され古いペニーコインをオルゴールの始動に使用します。パブなどに設置されジュークボックスのように音楽を楽しむための装置として使用されていました。

Drop a Penny in the Slot

漱石の作品の中にオルゴールが取り上げられているかは存知あげませんが、漱石の留学中にロンドンのパブでオルゴールを聴いていた可能性はあるのではないかと思います。

インターネット上で漱石とオルゴールの繋がりが記載されている記事を見つけました。
昨年のサライという雑誌のインターネット版に「日めくり漱石」といって夏目漱石にまつわる様々な話を掲載したコーナーがあります。

夏目漱石、寺田寅彦から欧州土産をもらって大いに喜ぶ。【日めくり漱石/6月22日】

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)6月22日、44歳の漱石は久しぶりの嬉しい訪問客を迎えていた。ヨーロッパ留学から帰国したばかりの寺田寅彦(てらだ・とらひこ)がやってきていたのである。

2年ぶりの師弟の対面だった。寅彦は、漱石のモミアゲにだいぶ白いものが目立ったきたのを感じていた。

師弟の間で会話がはずむ。寅彦は欧州からも盛んに漱石に手紙を書き送り、漱石も返書をしたためていたが、直接顔を合わせると、改めて話したいことも多いのである。

寅彦は、漱石をはじめとする夏目家のひとりひとりに土産を持参していた。

漱石夫人の鏡子にはブローチ、4人の娘たちには綺麗なリボン、長男の純一にはミュージカルボックス(オルゴール)、そして漱石には金のリンクス(カフスボタン)だった。嬉しい心遣いだった。漱石はこのリンクスをフロックコート用のワイシャツの袖口に付け、生涯、愛用することになる。

お土産のオルゴールですから、大型のディスクオルゴールなどではなく、小型のシリンダーオルゴールだったのではないかと想像しますが、どんなオルゴールだったのでしょう。

漱石とオルゴールなんて一見繋がりのないようなキーワードですが、意外に接点があったのではないかと思いを馳せながら今日も修復作業に勤しんでいます。

ポリフォン style 104

J. H. Heller

こちらの記事では今年最初で最期の投稿になりそうです。
オルゴールメーカの歴史資料などはたくさん翻訳してありますので、来年はもう少し頻繁に記事にしていきたいと思います。

工房の最新情報などはフェイスブックの方にも記載していますので、是非ご覧ください。
榎屋Facebookページ

J. H. Heller (ジェイ・エイチ・ヘラー)
1870年頃設立された品質の高さで有名なスイス、ベルンに本社があったミュージック・ボックス・メーカー。品質の高さを保つため、オルゴール発祥の地であるサン・クロアや、オベルソンから機械職人を引き抜いたことで知られている。1907年に生産を中止するまで小型の宝石箱やケーキスタンド等に仕込む小さな機械から、オルガン付きのオーケストリオンを含む大型の機械を扱うに至った。

ヘラー

参考文献
The Musical Box Handbook, Graham Webb
The History of the Musical Box and of Mechanical Music, Alfred Chapuis

SP盤とオルゴール

Bornad_music

弊社ではアンティークオルゴールを中心に様々な商品を取り扱っています。蓄音機で使用するSP盤もそのひとつで、輸入盤を中心に常時500タイトルくらいは在庫しています。今回はSP盤とオルゴールの意外な繋がりからとても面白いことがわかりましたので興味のある方は是非ご一読ください。

SP盤の在庫整理をしていたところおもしろいSP盤がでてきました。写真のSP盤は実際のオルゴールの演奏を録音したものなのですが、このSP盤のレーベル会社としてクレジットされているBornand Music Box Record Co.という名称が気になったので少し調べてみました。
海外からのオルゴールの仕入れの際、Bornand Collectionというキーワードを聞くことがあります。オルゴールについて記載されている書籍にも良く登場するコレクションですので、オルゴールに携わる方は馴染みのある名前だと思います。私は影響力のあるディーラーくらいの感覚でいたのですが、調べて行くにしたがってアンティークオルゴールの世界ではとても重要な家系であることが解ってきました。Bornandの日本語表記については様々な読み方があると思いますがここではボルナンとさせて頂きます。

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ボルナン・コレクションについて

1860年頃オルゴール発祥の地としても有名なスイス、サンクロアにて時計及びオルゴールの職人として活躍していたアドリアン・ボルナンがいた。その甥であるジョセフ・ボルナンが1883年にパイヤール氏などと共に米国に移民する事となる。ジョセフは既にスイスでオルゴール職人として活動していたため米国に移民した際にボルナン・インコーポレイテッドというオルゴールの製作を行う会社をマンハッタンから北東に位置するペルハムに設立する。ジョセフはオルゴールの機能の向上に多大な影響を与え、交換式シリンダーオルゴールの機能に関する特許等も取得している。

ジョセフには3人の子供がいたが、第2子であるアドリアン(叔父と同じ読み)がオルゴールの職人としてジョセフの後を継ぎ、同じペルハムにボルナン・ミュージック・ボックス・カンパニーを設立する。既にオルゴールの黄金期は終わっていたが、腕の良い修復家として既に流通していたオルゴールの修理を中心に活動した。1949年(1951年とも言われている)のアドリアンの死後、彼の妻であったルースが会社を引き継ぎオルゴールを録音したレコードレーベルの設立、スイスから小型オルゴールの輸入、オリジナルグッズの販売など、1970年代にはカリフォルニアに支社を持つ程に成長した。
また、アドリアン/ルース夫妻は現在でも活動の続く国際オルゴール協会の設立メンバーでもあった。

オルゴール関連書籍には必ず名前が掲載されているといっても良いボルナン・コレクションであるがアドリアン/ルース夫妻によって集められた様々なオルゴールは貴重な資料としても有名なコレクションである。

Adrian Bornand : 活動期1860年頃
Joseph Bornand:1873-1940
Adrien Bornand:1902-1949(1951)
Ruth Bornand:1901-2000

参考資料:
Encyclopedia of Automatic Musical Instruments, David Bowers
History of the Musical Box and of Mechanical Music, Alfred Chapuis
The Musical Box Handbook: Vol 1: Cylinder Boxes, Graham Webb
The Musical Box: A Guide for Collectors, Arthur W. J. G. Ord-Hume

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現在でもオルゴールを録音したCDなどが多く販売されていますが、SP盤の時代にもこのようなものが存在したことは、いつの世も手軽にオルゴールの音楽を手軽に楽しみたいと考える人がいたのだなと思うと、とても興味深いですね。

SP盤 入荷速報

Classical
コルトー、ティボー、カザルス トリオ 2枚組
ジャック・ティボー
エリー・ナイ 2枚組
リリー・クラウス&サイモンゴールドバーグ 7枚組
ラフマニノフ&クライスラー 2枚組
アルトゥル・シュナーベル 4枚組(オリジナルアルバム付き)
アルトゥル・ルービンシュタイン 2枚組(オリジナルアルバム付き)

Big Band and Jazz
エラ・フィッツジェラルド
サラ・ボーン
カウント・ベイシー・オーケストラ
キング・コール・トリオ
デュークエリントン・オーケストラ
ベニー・グッドマン・オーケストラ
ニューオリンズ・リズム・キングス

タイトル、価格や詳細な情報は追って紹介致しますが、
店頭でも販売しているため早い者勝ちです。
気になるアーティストが見つかった方はお気軽にお問い合わせ下さい。

株式会社榎屋
TEL 072-727-7791

SPレコード入荷してます。

米国直輸入のSPレコードが入荷しています。

1940,50年代のジャズ、ポップスを中心にクラシックも若干あります。
変わったところではデッカレーベルのディズニー映画「白雪姫」の
サウンドトラックアルバム(1944年)も入荷しています。

ベニーグッドマン・オーケストラ-
It Takes Time / MOON~FACED . STARRY-EYED 1,100円

キャブ・キャロウェイ
MRS.FINNIGAN / MY COO-COO BIRD 1,800円

デュークエリントン・オーケストラ
Creole Love Call / Black And Tan Fantasie 3,200円

フランク・シナトラ
I GOT A GAL I LOVE / THAT’S HOW MUCH I LOVE YOU 1,400円

ルイ・アームストロング
BACK O’ TOWN BLUES / MACK THE KNIFE From “The Threepenny Opera” 1,500円

などなど、往年の名曲が当時の録音で御楽しみ頂けます。
他のSP盤の情報など興味のある方はお気軽にお問合せ下さい。

株式会社榎屋
TEL 072-727-7791

白雪姫

ゴールデンウィーク期間の営業のお知らせ。

今年のゴールデンウィーク期間中はカレンダー通りに営業致します。
4月30日、5月1日、2日は通常営業ですので普段のお休みが弊社の休業日と重なって来社頂きにくい方、是非弊社ショールームまで遊びに来てください。
たくさんのオルゴールや蓄音機がお待ちしています。

レジナ社の歴史

米国の”Regina”社の歴史に関しての記載が1968年初版で現在では絶版の”The Musical Box Handbook”という本にあります。著者が米国の方のためかなり米国寄りの主観がかなり入っていますが、簡潔にレジナ社の歴史を表現されていますので、こちらでご案内させて頂きます。
日本では「レジナ」、又は「レジーナ」と表記される事が多いですが、弊社では「レジナ」と呼ぶ事が多いので文中でも「レジナ」を使用しています。

regina
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Graham WEBB
The Musical Box Handbook -Disc Box-
Vestal Press
pp.31~36

米国内だけでなく多くの国のオルゴールコレクターが、レジナ社のオルゴールの音色がもっとも良いと考えているのは間違いありません。その音色と共にシンプルなデザインを持つケース、さらにどんなコレクターもが持つ喜びを味わえるものであったため、近代の家に容易に溶け込んだのです。秀逸な音色はレジナ社によって完成され、ケース全体を響体とするデザインであった。シンプルなデザインは実際のところ、ヨーロッパの機種に多く採用されていたドイツ風の彫刻を施せる職人が少なかったためと思われる。また、当時の「アート&クラフト」運動によってポピュラーになりつつあった「線の優雅さ」を市場が求めていた事も影響しているであろう。どんな理由にせよ、現在でも心地よいデザインである事にかわりない。

レジナ社の歴史は1892年に、ポリフォンの共同創始者であるグスタフ・ブラッハウゼンが5人の職人と渡米したことから始まる。彼はニュージャージーのジャージー・シティに落ち着きレジナ・ミュージック・ボックス・カンパニーを設立する。ブラッハウゼンは当時、3つの有名なディスク・オルゴール会社に於て重要な人物となる。シンフォニオンではパウル・ロッホマンの監督役をつとめ、ポリフォンの共同創始者であり、そして米国で初のディスク・オルゴールを生産を行うレジナである。渡米した後1年ほど、ブラッハウゼンはポリフォンの「相棒」で共同特許権所有者でもある、パウル・リスナーのために米国における特許出願に時間を費やした。1894年の春にレジナ社は3人の株主(ブラッハウゼン、リスナー、そして後援者でもあるジョナス・J・コーナー)によって法人化された。その後急速にレジナ社は名声への階段を登り詰めた。

創業当初レジナ社はライプチッヒにあるポリフォン社からパーツ及びディスクを輸入しジャージー・シティの工場で組み立てる形をとっていた。しかし、時が経つにつれ徐々に機械のほとんどを米国で生産することになる。初期にポリフォン社からパーツやディスクを仕入れていたことが、15-1/2㌅(39.4cm)までのサイズのディスクは両社の機械で演奏することが出来るといったように機械的にも影響を与えた。共通ディスクが15-1/2㌅なのは大型のコイン・オペレーション仕様の機械は1895年以降に生産が始まったためという説が有力である。15-1/2㌅以下のディスクは両社の機械で使えるという事実にも例外はある。しかしそれは単に同様の機械を作っていなかったということに過ぎない。例えば11-1/4㌅(28.6cm)ポリフォンベル付きである。ちなみにこの機械のディスクは通常のベル無しの11-1/4㌅ポリフォンに於ても演奏出来ない。レジナ社は20-3/4㌅(52.7cm)と27㌅(68.6cm)のディスクを大型のアップライト型の機械に採用した。両サイズとも「2枚蓋」タイプの豪華なデザインの卓上モデルも存在するが、基本的にケースはシンプルなデザインのものが中心である。一般販売用や特別注文にも対応し様々な種類があった。

レジナ社は年々成長を続け、生産が最高潮であった時期には年商200万ドルに及ぶ年もあった。しかしそれも長くは続かず、新世紀の始まった1年目、全米に及ぶ不景気の後、1903年にはビクター・トーキング・マシン・カンパニーを始めとした大規模なグラモフォンの販売戦略により大打撃を受けた。レジナ社は1919年までオルゴールの生産を続けたが、1903年当時の後退から復興することはなかった。多くの製品の多様化が続けられ、まず1902年には手動の掃除機が開発される。1903年にはポリフォンからディスク・オーケストリオンの輸入を行い、そのディスクは32㌅にも及び両社が製造したディスクのなかで最大のものであった。このオーケストリオンはピアノ、チューブ・ベル、ドラム、そしてトライアングルを同時に演奏可能であった。これはオートチェンジャーであったため比較的良い販売成績であったと言われている。そしてもう一つのレジナ社の新商品はレジナフォンといい、悲しいかなグラモフォンとディスクオルゴールのコンビネーションであった。この奇妙な機械には様々なモデルが存在する。ポリフォンも同様のタイプの機械を生産していた。更に自動演奏の分野での挑戦は続き様々な自動演奏ピアノが開発された。その後レジナ社が生産していたか定かではないが、印刷機の販売も行なっていた。そして1922年ついにレジナ社は倒産に追い込まれたのである。1919年に最後のディスクオルゴールを生産完了し10万台以上をこの世に送りだした。現存しない会社ではあるが、そのように大量のオルゴールを生産した会社は世界にも類を見ないというのが、レジナ社の名声を築いた一因であったことは間違いない。

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いかがでしたか。
ヨーロッパのオルゴールで主流であったゴシック調の彫刻が出来る職人が多くいなかったという事は認めつつも、レジナ社が素晴らしい会社であったと褒めちぎってますね。
15 1/2″までのディスクオルゴールがポリフォン社のものと共通規格である事は不思議に思っておられる方も多いと思いますが、このような理由だったんですね。実はレジナというブランドは今でも残っていて米国のホームセンターではたまにレジナ・ブランドの掃除機を見かけることがあります。

謹賀新年2013

新年明けましておめでとうございます。

なかなか景気も上昇せず、明るいニュースが少ないですが、

こつこつ修復作業に精進する所存ですので、

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
nenga2013