J. H. Heller

こちらの記事では今年最初で最期の投稿になりそうです。
オルゴールメーカの歴史資料などはたくさん翻訳してありますので、来年はもう少し頻繁に記事にしていきたいと思います。

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J. H. Heller (ジェイ・エイチ・ヘラー)
1870年頃設立された品質の高さで有名なスイス、ベルンに本社があったミュージック・ボックス・メーカー。品質の高さを保つため、オルゴール発祥の地であるサン・クロアや、オベルソンから機械職人を引き抜いたことで知られている。1907年に生産を中止するまで小型の宝石箱やケーキスタンド等に仕込む小さな機械から、オルガン付きのオーケストリオンを含む大型の機械を扱うに至った。

ヘラー

参考文献
The Musical Box Handbook, Graham Webb
The History of the Musical Box and of Mechanical Music, Alfred Chapuis

SP盤とオルゴール

Bornad_music

弊社ではアンティークオルゴールを中心に様々な商品を取り扱っています。蓄音機で使用するSP盤もそのひとつで、輸入盤を中心に常時500タイトルくらいは在庫しています。今回はSP盤とオルゴールの意外な繋がりからとても面白いことがわかりましたので興味のある方は是非ご一読ください。

SP盤の在庫整理をしていたところおもしろいSP盤がでてきました。写真のSP盤は実際のオルゴールの演奏を録音したものなのですが、このSP盤のレーベル会社としてクレジットされているBornand Music Box Record Co.という名称が気になったので少し調べてみました。
海外からのオルゴールの仕入れの際、Bornand Collectionというキーワードを聞くことがあります。オルゴールについて記載されている書籍にも良く登場するコレクションですので、オルゴールに携わる方は馴染みのある名前だと思います。私は影響力のあるディーラーくらいの感覚でいたのですが、調べて行くにしたがってアンティークオルゴールの世界ではとても重要な家系であることが解ってきました。Bornandの日本語表記については様々な読み方があると思いますがここではボルナンとさせて頂きます。

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ボルナン・コレクションについて

1860年頃オルゴール発祥の地としても有名なスイス、サンクロアにて時計及びオルゴールの職人として活躍していたアドリアン・ボルナンがいた。その甥であるジョセフ・ボルナンが1883年にパイヤール氏などと共に米国に移民する事となる。ジョセフは既にスイスでオルゴール職人として活動していたため米国に移民した際にボルナン・インコーポレイテッドというオルゴールの製作を行う会社をマンハッタンから北東に位置するペルハムに設立する。ジョセフはオルゴールの機能の向上に多大な影響を与え、交換式シリンダーオルゴールの機能に関する特許等も取得している。

ジョセフには3人の子供がいたが、第2子であるアドリアン(叔父と同じ読み)がオルゴールの職人としてジョセフの後を継ぎ、同じペルハムにボルナン・ミュージック・ボックス・カンパニーを設立する。既にオルゴールの黄金期は終わっていたが、腕の良い修復家として既に流通していたオルゴールの修理を中心に活動した。1949年(1951年とも言われている)のアドリアンの死後、彼の妻であったルースが会社を引き継ぎオルゴールを録音したレコードレーベルの設立、スイスから小型オルゴールの輸入、オリジナルグッズの販売など、1970年代にはカリフォルニアに支社を持つ程に成長した。
また、アドリアン/ルース夫妻は現在でも活動の続く国際オルゴール協会の設立メンバーでもあった。

オルゴール関連書籍には必ず名前が掲載されているといっても良いボルナン・コレクションであるがアドリアン/ルース夫妻によって集められた様々なオルゴールは貴重な資料としても有名なコレクションである。

Adrian Bornand : 活動期1860年頃
Joseph Bornand:1873-1940
Adrien Bornand:1902-1949(1951)
Ruth Bornand:1901-2000

参考資料:
Encyclopedia of Automatic Musical Instruments, David Bowers
History of the Musical Box and of Mechanical Music, Alfred Chapuis
The Musical Box Handbook: Vol 1: Cylinder Boxes, Graham Webb
The Musical Box: A Guide for Collectors, Arthur W. J. G. Ord-Hume

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現在でもオルゴールを録音したCDなどが多く販売されていますが、SP盤の時代にもこのようなものが存在したことは、いつの世も手軽にオルゴールの音楽を手軽に楽しみたいと考える人がいたのだなと思うと、とても興味深いですね。

レジナ社の歴史

米国の”Regina”社の歴史に関しての記載が1968年初版で現在では絶版の”The Musical Box Handbook”という本にあります。著者が米国の方のためかなり米国寄りの主観がかなり入っていますが、簡潔にレジナ社の歴史を表現されていますので、こちらでご案内させて頂きます。
日本では「レジナ」、又は「レジーナ」と表記される事が多いですが、弊社では「レジナ」と呼ぶ事が多いので文中でも「レジナ」を使用しています。

regina
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Graham WEBB
The Musical Box Handbook -Disc Box-
Vestal Press
pp.31~36

米国内だけでなく多くの国のオルゴールコレクターが、レジナ社のオルゴールの音色がもっとも良いと考えているのは間違いありません。その音色と共にシンプルなデザインを持つケース、さらにどんなコレクターもが持つ喜びを味わえるものであったため、近代の家に容易に溶け込んだのです。秀逸な音色はレジナ社によって完成され、ケース全体を響体とするデザインであった。シンプルなデザインは実際のところ、ヨーロッパの機種に多く採用されていたドイツ風の彫刻を施せる職人が少なかったためと思われる。また、当時の「アート&クラフト」運動によってポピュラーになりつつあった「線の優雅さ」を市場が求めていた事も影響しているであろう。どんな理由にせよ、現在でも心地よいデザインである事にかわりない。

レジナ社の歴史は1892年に、ポリフォンの共同創始者であるグスタフ・ブラッハウゼンが5人の職人と渡米したことから始まる。彼はニュージャージーのジャージー・シティに落ち着きレジナ・ミュージック・ボックス・カンパニーを設立する。ブラッハウゼンは当時、3つの有名なディスク・オルゴール会社に於て重要な人物となる。シンフォニオンではパウル・ロッホマンの監督役をつとめ、ポリフォンの共同創始者であり、そして米国で初のディスク・オルゴールを生産を行うレジナである。渡米した後1年ほど、ブラッハウゼンはポリフォンの「相棒」で共同特許権所有者でもある、パウル・リスナーのために米国における特許出願に時間を費やした。1894年の春にレジナ社は3人の株主(ブラッハウゼン、リスナー、そして後援者でもあるジョナス・J・コーナー)によって法人化された。その後急速にレジナ社は名声への階段を登り詰めた。

創業当初レジナ社はライプチッヒにあるポリフォン社からパーツ及びディスクを輸入しジャージー・シティの工場で組み立てる形をとっていた。しかし、時が経つにつれ徐々に機械のほとんどを米国で生産することになる。初期にポリフォン社からパーツやディスクを仕入れていたことが、15-1/2㌅(39.4cm)までのサイズのディスクは両社の機械で演奏することが出来るといったように機械的にも影響を与えた。共通ディスクが15-1/2㌅なのは大型のコイン・オペレーション仕様の機械は1895年以降に生産が始まったためという説が有力である。15-1/2㌅以下のディスクは両社の機械で使えるという事実にも例外はある。しかしそれは単に同様の機械を作っていなかったということに過ぎない。例えば11-1/4㌅(28.6cm)ポリフォンベル付きである。ちなみにこの機械のディスクは通常のベル無しの11-1/4㌅ポリフォンに於ても演奏出来ない。レジナ社は20-3/4㌅(52.7cm)と27㌅(68.6cm)のディスクを大型のアップライト型の機械に採用した。両サイズとも「2枚蓋」タイプの豪華なデザインの卓上モデルも存在するが、基本的にケースはシンプルなデザインのものが中心である。一般販売用や特別注文にも対応し様々な種類があった。

レジナ社は年々成長を続け、生産が最高潮であった時期には年商200万ドルに及ぶ年もあった。しかしそれも長くは続かず、新世紀の始まった1年目、全米に及ぶ不景気の後、1903年にはビクター・トーキング・マシン・カンパニーを始めとした大規模なグラモフォンの販売戦略により大打撃を受けた。レジナ社は1919年までオルゴールの生産を続けたが、1903年当時の後退から復興することはなかった。多くの製品の多様化が続けられ、まず1902年には手動の掃除機が開発される。1903年にはポリフォンからディスク・オーケストリオンの輸入を行い、そのディスクは32㌅にも及び両社が製造したディスクのなかで最大のものであった。このオーケストリオンはピアノ、チューブ・ベル、ドラム、そしてトライアングルを同時に演奏可能であった。これはオートチェンジャーであったため比較的良い販売成績であったと言われている。そしてもう一つのレジナ社の新商品はレジナフォンといい、悲しいかなグラモフォンとディスクオルゴールのコンビネーションであった。この奇妙な機械には様々なモデルが存在する。ポリフォンも同様のタイプの機械を生産していた。更に自動演奏の分野での挑戦は続き様々な自動演奏ピアノが開発された。その後レジナ社が生産していたか定かではないが、印刷機の販売も行なっていた。そして1922年ついにレジナ社は倒産に追い込まれたのである。1919年に最後のディスクオルゴールを生産完了し10万台以上をこの世に送りだした。現存しない会社ではあるが、そのように大量のオルゴールを生産した会社は世界にも類を見ないというのが、レジナ社の名声を築いた一因であったことは間違いない。

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いかがでしたか。
ヨーロッパのオルゴールで主流であったゴシック調の彫刻が出来る職人が多くいなかったという事は認めつつも、レジナ社が素晴らしい会社であったと褒めちぎってますね。
15 1/2″までのディスクオルゴールがポリフォン社のものと共通規格である事は不思議に思っておられる方も多いと思いますが、このような理由だったんですね。実はレジナというブランドは今でも残っていて米国のホームセンターではたまにレジナ・ブランドの掃除機を見かけることがあります。

カリオペ社の歴史

今年は桜の開花が早くなりそうというニュースをいろんなところで聞きましたが、寒い日が続いたせいか、まだ大阪では満開まではもう少しと言った感じです。
皆様のところではいかがでしょうか。
今日は久しぶりに自動演奏楽器の百科事典からの抜粋で、ドイツのカリオペ社を紹介します。

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カリオペ・ミュージックワーク社”Kalliope Musikwerke”は、1890年代から1900年代初頭にかけて数多くのディスクミュージックボックスを製造してきた。そのほとんどが”Kalliope”という名前で販売されていたが”Calliope”という綴りでも販売されてきたという。
カリオペ社のオルゴールは、調性のとれた音で有名な上、小さな型のものでも音の粗さはなくその共鳴の素晴しさは有名である。小さな型のほとんどが中心の軸をゼンマイの巻軸としても使用している。
ベルは数あるオプションの中でもポピュラーであった、テーブルトップモデルにも装備されていた程である。3タイプのベル(ソーサー・ベル、棒状のベル、チューブタイプの3種)が用意されていたが多くの機種は、ソーサーベルが装備を装備している。
カリオペ社は、その後さまざまな会社に分割、買収されるが、そのほとんどは、ギャンブル用の機械や、ショーウィンドウ用の展示物を制作する会社であった。カリオペ社の名前で後世に残る商品というのは、数種類の『パノラマ』である。この箱は競争馬のジオラマを表現していた。
1919年カリオペ社は、ヘンリー・ランフェルダー氏”Henry Lanfelder” 率いるメンツェンハウアー&シュミット社 (ギタロフォンのメーカー)“Menzenhauer & Schmidt”に吸収される。メンツェンハウアー&シュミット社はベルリンに本社を置き、1920年代にカリオペのフォノグラフは、この会社によって販売することになり、その間カリオフォン “Kalliophon”というオルゴールとフォノグラフを掛け合わせたものも生産された。
Encyclopedia of Automatic Musical Instruments P.108

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小型でも音量、質ともに安定感のあるカリオペ社ですが、文中の後世に残る作品として認識さているものが『パノラマ』シリーズであるというのは、かなり著者の個人的な嗜好が影響しているのかもしれません。個人的には小型のベル付きも「小粒でピリリ」としていて、すごく良い機械だと思うのですが、皆様はどう思われますか。

フランソワ・ミシェル コンション

本日はアンティークシリンダーオルゴールはニコル・フレールだけではないですよ、シリーズ続編です。
スイスにはたくさんのシリンダーオルゴールメーカーが存在した事はコレクターや博物館等でよく説明されます。では実際にどのくらいのメーカーが存在したのか。正直なところ私も把握していません。オルゴールに関するいろいろな資料からこつこつと情報を整理していけばある程度は具体的な数字が見えてくるのかもしれません。
今回のコンションというオルゴールメーカーに関する情報の文中にもありますが、オルゴール発祥のサン・クロアだけでなくジュネーブにもたくさんのメーカーがあった事が伺い知れます。たくさんのメーカーが近所や隣同士に工場を構えていたり、戦後の日本のバイクメーカーのような感じだったのかもしれませんね。
現在でも同じ地名が存在するので、こちらにGoogleMapのリンクをしておきます。別の窓で地図を見ながら、こんなところでオルゴールをつくってたんだなぁと思いを馳せながら、お楽しみ下さい。湖の近くのいい場所にあったみたいですね。縮尺によっては琵琶湖のある大津市のようにも見えます。
コンション社があったと思われる場所。(←クリック)

Conchon, François Michel
コンション、フランソワ ミシェル 1837-1913 フランスに生まれる。1869年にジュネーブで結婚をしているので1860年代にはジュネーブに移り住んでいたと思われる。1867年にはオルゴール関係の事業に従事していたと思われるが、1868年2月の商工会議所の名簿にはオルゴールメーカーとして彼の名前が登記されていないため、自営ではなかった事がわかる。1874年の名簿にはオルゴール製作会社として初めて登録されている。また、その数年後には50人の労働者との申告がある。その頃コンション社の宣伝文句の一つとしてオルゴールに関するすべてのパーツを製作する会社と謳っていた。彼の工場はPlace des Alpes と rue des Pâquisの角に位置していたため、工場の住所は2 rue des Pâquisである事が多かったが、ときに9 Place des Alpesであったりもした。アラード・サンドスやブレモンもPlace des Alpesに工場が存在した。コンション社はケープタウン(1877)、パリ(1878)、チューリッヒ(1883)、そしてジュネーブ(1986)を含む数多くの博覧会で賞を受賞した。コンションは数多くの質の高いオルゴールを製作したが、珍しいタイプも多く製作している。「オーケストラ ボックス」「ハープ エオリネ」「サブライム ハーモニー」「ポリタイプ」等あるが、特に珍しくもあり、素晴らしいオルゴールである1878年パリに展示出品した「ヘリコイダル」は、ウイリアムテル序曲全編を演奏可能で、10から11分間途切れる事なく演奏する。コンション社のトレードマークは、丸の中に竪琴と星のロゴに「Star Works」の文字である。ガバナーブラケットには2つの楕円が逆ハの字に配置され上部中央に3つの点、楕円の中にはイニシャルであるF.C.が向かって左側、竪琴が右側に刻印されている事がよくある。コーム(櫛歯)には真鍮のベース部品の手前側にフルネームと調律スケールの番号が刻印されている。コンション社は他のメーカーにもコームを部品として供給していたので、明らにコンション製ではないシリンダーオルゴールのコームに彼の名前が刻印されている事もある。
The Musical Box Handbook
Volume 1 Cylindere Boxes p.208
by Graham Webb

いかがでしたか、文中に「ヘリコイダル」というオルゴールを製作したと、ありましたがこれは、シリンダーのピンが螺旋状に配置され、シリンダーオルゴール特有の曲を変換する際の無音状態が無く演奏を続ける事ができる機能です。私もウィリアムテル序曲全編を一気に聞いた事がありますがとても聞き応えがあります。こういった試行錯誤を繰り返しながらすばらしいものを作り上げていった時代を想像するだけでも楽しいですよね。
戦後のバイクメーカーのようであるという意味が少しお分かり頂けますでしょうか。部品だけを供給していたメーカーがあった事がこの資料からもわかりますし、ケースだけをつくっていたメーカーもたくさんあった様で、同じオルゴールのケースなのにムーブメントは違うメーカーということも何度か確認した事があります。
残念ながら、コンションのオルゴールは現在弊社で在庫していません。また入荷しましたらホームページでお知らせ致します。何度か入荷した事がありますので、昔の写真資料を探してみましたが、刻印の写真などを見つける事ができませんでした。見つけ次第このページに追加しておきます。
Enokiya Music Boxes取扱商品

シンフォニオン社の歴史

暑い! とこんなところで叫んでも涼しくはならないのですが、
大阪はこれでもかというくらい、暑い!です。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。夏バテしないように気をつけてくださいね。
さてさて、今日は久しぶりにオルゴールのメーカーの歴史の話しです。
今回もEncyclopedia of Automatic Musical Instrumentsからの抜粋記事ですが、
なんでそんなところを抜粋するの?と言われそうな記事の抜粋です。
symphonion.jpg
シンフォニオンと言えばポリフォン、レジナと並び3大ディスクオルゴール
メーカーとしても有名です。よくご存知の皆様はパウル・ロッホマンという
人によって設立された会社である。なんて事がよく知られていますが、
実はもう一人シンフォニオン社に関係する重要人物が存在しました。
エリス・パーというイギリスで活動していた人でした。
今回のお話はそのパー氏のインタビュー記事です。
文中で斜体になっている部分がパー氏の発言です。
では、どうぞ(続きを読むをクリックしてください)

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メルモフレールのディスク

前回まで3話に分けてメルモフレールの紹介をしてきましたが、主にシリンダーメーカーとしてのものでした。
予告通りメルモフレールのディスクメーカーとしての実績を紹介したいと思います。創立の歴史等は前回までの話と重複する部分もありますが、Encyclopedia of Automatic Musical Instruments に忠実に翻訳してありますので、省略せずに記述します。
Miraの表記に関して、日本では「ミラとマイラ」のように「英国式と米国式」の読みの違いがあるようですが、榎屋では米国から輸入する事が多い為か、マイラで通っていますので、以下文中ではマイラと表記します。
では、どうぞ

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メルモフレール 第3話

さて、今回で「Encyclopedia…」からのメルモフレールのシリンダーについての歴史についての最終話となります。
今回も1895年のメルモフレール社のカタログからの抜粋が主な内容ですが、更に仕様についての詳しい説明と、数々の独創的な機能についての説明があります。
機能についての説明の部分には解りやすいように、写真を追加しています。
mermod_logo.jpg
チューンシート上のメルモフレールのロゴ
1816年と記入されていますね。

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メルモフレール 第2話

2月は逃げるとはよく言ったもので、あっという間に3月になってしまいましたね。更新も1ヶ月出来ないままでした。
メルモフレールについての記事が長い間第1話で止まっていましたが、ようやく第2話の始まりです。
今回は前回の予告通り、メルモフレールのシリンダーオルゴールに関する仕様が主な内容です。
Bower氏が1895年当時のメルモフレールのカタログから抜粋していますので、ご一読ください。
ではどうぞ

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メルモフレール 第1話

前回の記事から少し時間が経ってしまいましたが、今回もシリンダーオルゴールのメーカーについて紹介したいと思います。
メルモフレールというスイスのメーカーなのですが、やはりこのメーカーも前述のニコルフレールに負けず劣らず、すばらしいオルゴールがたくさん残っています。修理のために分解してもこのメーカーの機械は興味深い構造のものがたくさんあります。後にディスクオルゴールの分野にも進出し、シリンダーオルゴールのみを制作していたメーカーが衰退していく中、ディスクオルゴールでもStellaやMiraといった名機を生み出しています。コレクターの間ではディスクオルゴールの機械はスイス製、筐体は米国製ということが浸透していますが、シリンダーオルゴールの頃からもそのような生産形態を取っていたようです。
作業の合間に記事を書いてるため、翻訳に少し時間がかかりそうなので、数日に分けて掲載していきたいと思います。
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メルモフレールのロゴの刻印
曲番号インジケータに刻印されていることが多い。
まずは、工房設立の頃からのおはなしです。

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