シンフォニオン社の歴史

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暑い! とこんなところで叫んでも涼しくはならないのですが、 大阪はこれでもかというくらい、暑い!です。 皆様はいかがお過ごしでしょうか。夏バテしないように気をつけてくださいね。

さてさて、今日は久しぶりにオルゴールのメーカーの歴史の話しです。 今回もEncyclopedia of Automatic Musical Instrumentsからの抜粋記事ですが、 なんでそんなところを抜粋するの?と言われそうな記事の抜粋です。

シンフォニオンと言えばポリフォン、レジナと並び3大ディスクオルゴール メーカーとしても有名です。よくご存知の皆様はパウル・ロッホマンという 人によって設立された会社である。なんて事がよく知られていますが、 実はもう一人シンフォニオン社に関係する重要人物が存在しました。

エリス・パーというイギリスで活動していた人でした。

今回のお話はそのパー氏のインタビュー記事です。 文中で斜体になっている部分がパー氏の発言です。

シンフォニオン社の歴史

 1885年又は1886年頃、シンフォニオンによって初の実用的なディスク交換が可能なオルゴールが発表された。それから1920年代後半に至るまでその会社はその製品の広い市場を経験することになる。(後半の10年間はどちらかといえばオルゴールより蓄音機がメインではあったが)  1888年2月16日発行の『Pall Mall Budget』という雑誌にシンフォニオン社の重要な原動力であったパウル・ロッホマン(Paul Lochmann)の協力者だったエリス・パー(Ellis Parr)という人物の興味深いインタビューが掲載された。ここでシンフォニオン社の初期のビジネスについて語られた興味深い記事を抜粋してみる。

『機械による音楽』
「シンフォニオンの発明者へのインタビュー」

「どうでしょう、今日では皆、何らかの楽器を演奏できる時代になりましたが、今だに自動演奏機の需要というのはあるのでしょうか。」

 「その答えは簡単です。とパー氏は言った。人々は変化を好みます。たとえ全ての人が上手なピアニストだったとしてもミュージック・ボックス業界は今まで以上に活発でしょう。人々は自分やその他の人が弾く完璧とは言い難い演奏にすぐに飽きるでしょう。それに比べこんなに手軽に間違えることのない心地よい音楽があればどうでしょう。そしてそこには単に需要があるだけでなく、機械に改良が加えられ、良質の音楽を再現、豊富な曲数を再現できるようになってからこのかた、その需要は伸び続けているのです。限られた曲しか再現できないのがミュージック・ボックスの欠点でした。当然人々は同じ曲を何回も聞いていれば飽きてきます。ディーラー達はどんな曲でも演奏出来る機能を発明できないだろうか、もしそんな機械が出来たならばその機械の需要は絶えることはないだろう。とよく私にもらしていました。そしてそんな要求がシンフォニオンによって実現されようとしているのです。音楽再生のメカニズムは通常のミュージック・ボックスのそれと似ているのですが一定の曲のみ再生できないシリンダーに変わり、交換が容易なディスクを採用しているのです。他の曲が聞きたくなればディスクを交換すればよいのですから、そこに『退屈』という言葉は存在しません。

 「しかしもしいろいろな曲を聞きたい場合たくさんのディスクを必要とするわけですからシンフォニオンは少し割高になるのではないでしょうか。」

 「そんなことは決してありません。弊社ではいろいろなサイズの楽器を取りそろえ、値段も5シリングから50ギニーまで幅があります。小型のものは当然おもちゃに近いものもありましたが、ディスクは最高でも2シリング程度ですからどんなミュージック・セラーに行ったとしても一曲あたり同様の金額がかかるはずです。

 「どのような層にシンフォニオンは受け入れられるでしょう。」

 「全ての層にでしょう、富裕層は大型で高級な機械を購入されるでしょうし、高級機を購入できない方達も小型の機械に満足されています。ロンドン、イギリス全土での販売は非常に良い結果を出していますし、輸出も好調です。

 「メインはどの国ですか。」

 「オーストラリア・コロニーですね。

 「それではシンフォニオンは海外でも生産されているのですか。もしそうであるならば、我が国において失業者が多く存在するこの時代に、外国の労働者を使うのはいささかアンフェアーではないでしょうか。」

 「はい、シンフォニオンは、私と共同特許をもっているドイツの紳士が工場長を勤める、ライプチッヒで生産されています。確かにイギリスの労働力を使う方がよいとは思いますが、もしそうすることが出来たとしても現在我が国では生産に必要な技術力がないのです。工場を確立する前には長期に渡る綿密な教育が必要ですし、シンフォニオンに必要な手工業の職人は現在イギリスには存在しません。ライプチッヒでは約120人の職人を抱え、更に少女達が各家庭でディスク生産に関わる作業を行っています。しかしシンフォニオンの需要が更に増え続ける今、私たちは長期的展望で大量の生産を行わなければ行けません。私もつい最近400台ほど注文したのですが納期は3月以降になるということです。おそらくあなた方はドイツにいる私の共同特許者パウル・ロッホマン氏について興味が御有でしょう。彼は私が発明したものとほぼ同じものを1週間遅く発明しました。私は彼のことを全く知らずにスイスへ向かうところでしたが、偶然ライプチッヒのトレード・フェアーで彼の発明について耳にしました。始めは彼がイギリスに進出してくるのを防ぐ為、敵対の姿勢をとろうとしましたが、次第に私達はパートナーとなったのです。現在では私達の機械が完璧な状態に近づくようお互いに少しづつ改良を進めています

 「例えばオラトリオの一部やカドリール全曲などのように、シンフォニオンではもっと長い曲を演奏することが可能なのでしょうか?」

 「1枚のディスクでは不可能ですが、複数枚のディスクを使えば問題無く再現できます。どのような楽曲にも長短の違いはあれ、インターバルが存在するものです。ディスク交換が約15秒で完了するわけですから不快な間隔を発生させる事無く演奏が可能なわけです。ダンスミュージックであれば、尚、簡単です。例えばカドリールなどは曲間に必ずポーズが入るわけですから。更にシンフォニオンは演奏時間をコントロールできるので、ダンスホールやその他の場所であっても、成功しない理由が見当たらないくらいです。

 「では、その様に様々な問題が取り除かれたとしてですね、大勢が参加する舞踏場では音量が足りないのではないでしょうか。」

 「大きな公共の場所ではそうでしょう。しかし私的な場所、例えば50フィートx25フィート(15m x 7.5m)程度の部屋の場合には、大型の力強い楽器よりもバイオリンのようなクリアな音質の再現は、より効果的です。

Encyclopedia of Automatic Musical Instruments P.213

と、インタビュー記事は上記の箇所で終わっています。 この後にはシンフォニオン社の海外での活動や後にロッホマン・オリジナル社を設立するロッホマン氏の事にも著者であるBower氏は言及しています。

肝心なのはこの後だろう!と言われそうですが、このインタビュー記事には とても興味深い点がたくさんあります。 以前メルモフレールのお話を書いているときにも言っていた事なのですが、 自動演奏楽器に対する認知度や開発側の意気込み、海外での生産に対する インタビュアーのコメントなど、とても100年以上前のインタビュー記事 だと思えません。

そこに人がいる限りはいつも同じような事を繰り返しているんですかねぇ。 シンフォニオン社の歴史と言うタイトルからは期待通りの内容では無かったかもしれませんが、オルゴールの歴史を知る意味ではとても面白い記事だと思いましたので 紹介してみました。

弊社のショールームにもシンフォニオン社のオルゴールが数点ありますので、 リクエストしていただければ聴いていただけます。 暑い夏を涼しいオルゴールの音色で乗り切りましょう。(乗り切れるかな?)