Niclole Freres

ニコル フレール

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今日はシリンダーオルゴールのニコルフレールについて少し書いてみます。

ベッドプレートの刻印

シリンダーオルゴールとは、ニコルフレールとは、なんぞや、という方はGoogleやYahooで検索してみてください。たくさん解説がでてきます。ちょっと無責任ですが、こちらではもう少し突っ込んだ内容を書いていきますのでご了承を。

コレクターの間では評価の高いオルゴールメーカーですが、その成り立ちには諸説ありますので、海外の書籍から抜粋して紹介します。

Music Boxes -Bahl- p.72

ニコル・フレール

スイス/ジュネーブ後にイギリス/ロンドン 1815-1906

シリンダーオルゴールが製造、発展した初期から最も有名なメーカー。このメーカーは『ピアノフォルテ』を開発したことと1880までに40,000台以上のオルゴールを生産したことで名声を得た。ムーヴメントとチューンシートにはその名前が記されている。鋳造製のベッドプレート以外のベッドプレート左上部とコームにNicole Fréres の刻印を見ることができる。同社のオルゴールは比較的年代同定が容易で詳しい情報はDavid TallisとJohn E.T. Clarkeによる著書で確認できる。 トレードマーク:チューンシートに『Trademark , registered by Charles Eugéne Burn 2 August 1882』と言う文字の間に四角に地球が収まっているマーク。

History of the musical Box -Chaupis- p.159

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1860以前の産業の夜明けといわれる時代の”業界のエリート”と言われる人達のリストの中に彼等の名前を見つけることができる:デュコモン、ルクルト、ニコルである。ルクルトは機械部分の改良を重点的に行った。フランシスの兄弟であるヘンリ・ルクルト(1795-1856)はジュネーブで初めて交換式のシリンダーと『リボルバー』と呼ばれるシリンダーを製作した。(詳しくは後記する)

 3つのメーカーの中でもフランシス・ニコル(1776-1849)によって創業され音楽的に重要な改良方法を発明したニコル・フレールは、職人の質とオルゴールの芸術性の高さで常に業界の先頭を切っていた。1815年までにはジュネーブの17, Rue Kléberにおいて創業を始めEugéne Burnと言う協力者が現われ経営に参加するまでは同地において営業した。1880年頃Burnはニコル・フレールの個人オーナーとなり、ロンドンに修理工房を開いたがその後しばらくの間は事業と居住をジュネーブを中心に行った。最終的にはすべての事業をロンドンに移したがニコル・フレールの名前は残すことになる。彼の経歴の後半においては販売と修理以外に従事することはあまりなかった。

The Musical Box Handbook -Webb- p.227

Nicole Fréres. Geneva 1815-1906

ニコル・フレール社は元来ピエール・ニコル(Pierre-Moise Nicole)とデビッド・ニコル(David-Élie Nicole)兄弟の合名会社としてスタートした。以前はフランシス・ニコルとレイモン・ニコルの二人と間違われることが多かった。フランシス・ニコルはすでに質の高いメーカーのオーナーであり、レイモン・ニコルというのは実は名字でフランシス・ニコルの娘と結婚した際にレイモン-ニコルと名字を改名した。(当時のスイスではその様な改名は比較的一般的であった)更に混乱を招く原因として初期のニコル・フレールのムーヴメントにはコームにF.Nicoleの刻印されているものもあった。その件に関してはフランシス・ニコルの工房とニコル・フレールが共同で作業を始めた頃、フランシスの工房の在庫の整理のため残っていたコームを使用したものと考えられている。このような事実は最近のリサーチにより明らかになりつつあるため、いまだに全容は解明されていない。

 ピエールとデビッド兄弟は共にピエールが他界する1857年頃まで事業の拡大を行った。彼は未婚であったため後継者がいなかったので、ピエールが他界する少し前から共に働き始めたデビッドの長男であるピエール-フランシス-エミール(Pierre-François-Emile)が父親と経営を行う。デビッドは1871年に他界し、ピエール-フランシスはチャールズ・ユージーン・ブルン(Charles Eugene Brun)がパートナーとして加わる1880頃まで単独で事業を行った。その後すぐピエール-フランシスは引退したと思われる、その結果ブルンが会社を引き継いだ。ブルンはジュネーブには支店を残し、ロンドンに会社を移転した。しかし最終的にはジュネーブの支店は閉じることになった。ニコル・フレール社はニュー・ポリフォン・カンパニーとなる1906年まで創業を続けた。

 ニコル・フレール社は約40,000~50,000台の非常に質の高いオルゴールを生産した。そのほとんどのムーヴメントとチューンシート双方にニコル・フレール社の名前が記されているという珍しい事実と、質の高さで当時非常に高い人気をほこり、更に今日でも収集価値の高い逸品と認められている。ニコル・フレール社は「ピアノフォルテ」の開発で名声を得るそして、その他数多くのムーヴメントを生産した。 機械の認識方法は非常に容易である。Nicole Fréresの名前が鋳造製のベッド・プレート以外は左後部に刻印されている。そしてコームとチューンシートには必ず社の名前が入っている。チューンシートにはシリアル番号、ガム番号(曲別の音階を管理する番号)が記されているものも多い。シリアル番号はベッドプレートの右後部やケースの裏側に記されていることがしばしばある。ニコル・フレール社の後期にはディスク・オルゴールやその他のシリンダーメーカーの代理店としても機能していたため、ケースの内側に金色のデカールでニコル・フレールの名前を使っていたものもある。

コーム上の刻印

 上記のように諸説あるニコルフレールですが、F.Nicoleの刻印のものは非常に稀でほとんどがNicole Freresのものが多いように感じます。ただ、オルゴールのレストアに携わるものとして感じるのは少しニコルフレールの名前が一人歩きしている様な感を受けます。確かにNicole Freresのオルゴールは音色もよく質の高いオルゴールメーカーであったのは間違いないのですが、お持ちのオルゴールがニコルフレールでないからといって、がっかりすることはありません。その他にも高品質なオルゴールメーカーは多数存在し、たとえ無銘のものであっても「はっ」とする音を奏でるシリンダーオルゴールもたくさんあります。

 やはり、音楽を楽しむものですからメーカーに左右されることなく、音色を重視したいですね。 その他のメーカーや今回掲載した写真のように、メーカーを特定するカギとなる刻印についても、もっと掲載していきます。