夏目漱石とオルゴール

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昨年は夏目漱石没後100年の年でした。 自動演奏楽器の歴史で言うと100年前というと蓄音機が台頭し始めて、楽器としての大型オルゴールの歴史が終焉に近づいている時代です。

オルゴールの歴史をまとめるための資料を探していたところ、興味深い記事を見つけました。 昨年の6月に小学館発行のサライという雑誌のオンライン記事に寺田寅彦から晩年の夏目漱石に欧州土産を持参した記事がありました。

サライ http://serai.jp/hobby/66026

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)6月22日、44歳の漱石は久しぶりの嬉しい訪問客を迎えていた。ヨーロッパ留学から帰国したばかりの寺田寅彦(てらだ・とらひこ)がやってきていたのである。

2年ぶりの師弟の対面だった。寅彦は、漱石のモミアゲにだいぶ白いものが目立ったきたのを感じていた。

師弟の間で会話がはずむ。寅彦は欧州からも盛んに漱石に手紙を書き送り、漱石も返書をしたためていたが、直接顔を合わせると、改めて話したいことも多いのである。

寅彦は、漱石をはじめとする夏目家のひとりひとりに土産を持参していた。

漱石夫人の鏡子にはブローチ、4人の娘たちには綺麗なリボン、長男の純一にはミュージカルボックス(オルゴール)、そして漱石には金のリンクス(カフスボタン)だった。嬉しい心遣いだった。漱石はこのリンクスをフロックコート用のワイシャツの袖口に付け、生涯、愛用することになる。

どのようなオルゴールであったかはわかりませんが、夏目家でもオルゴールの音色が響いていたと考えると感慨深いものです。